41.散文

憧れとか具体的な言葉に含まれる意味としてではなくて、
現実で変化し続ける感情はもっとあいまいで不確かで。
つまり君の我の強さに付き合えるほど、
僕は僕の限界を知っているわけじゃない。
自己主張とわがままの線引きとか考えたりしちゃって、
結局何だったのか考えていたことがかわからなくなってしまう。

どこをどう切り取ったとしても、
僕らの関係はとても希薄で共有できるものはほとんどない。
ということは、
ただ単にこの状態を維持する意味があるのかどうか、
僕は迷ってしまい、そして放置する。

その迷いについていつも疑問に思うし、
なぜそう思うのか全然解りそうにもない。
たぶんただ単に僕の気の迷いとか、下心とか、良心の呵責とか、
そういった類のねじれて裏返った感情の切れ端なんじゃないだろうか。

どうしてこうも肉体的な欲求と感情の充実にずれが生じるのだろう。
体と心が別である必要がどこにあるのか、もちろん重なったりとかそういう時もある。
けれど、その決まりごとはとても曖昧で常に一定ではないから、
僕はそのあるかどうかもわからないスイッチを探している。

無駄なことを無駄じゃなくするのは得意だけれど、
一人の作業には、
どこか空しさがつきまとう。

向上心だとか、ポジティブだとか。
君が大事にしているのはそういうものだけれど、
よく口にする「幸せ」とかいうものばかり追いかけるなんて、
僕には出来ないんだ。
まずは、そのネガティブとかポジティブとか、そういう言葉で考え方をくくるのはやめようよ。
君がいつも唱えている呪文の、
僕が斜めから観てるテレビから引っ張り出したような一般的な「幸せ」というものが、
僕から、何度も言うようだけど君の唱える「幸せ」に対する猜疑心を取り去ってくれると思えないんだ。

流れるままの僕でいたいから。
流れるままの君を知りたいんだ。

色んなもので自分を守ろうとする君といると、
どこか別のことを物凄い勢いで考えてしまう。

例えば羞恥心と嫌悪感の違いについて、
とかね。


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